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ミラノ -歴史と未来が交差する街-

2月6日よりイタリア北部の都市ミラノとコルティナ・ダンペッツォで、25回目の冬季五輪が開催されます。ミラノでの五輪開催は夏冬を通じて初めてとなります。ミラノは、古代ローマ時代から交通と商業の要衝として発展し、ルネサンス芸術、オペラ文化、さらには現代のファッションやデザインまで、多彩な顔を持っています。長い歴史の中で培われてきた文化や市民生活、変化を受け入れ続ける都市の姿をたどり、ミラノという都市の魅力を様々な視点から読み解いていきます。

Category : 歴史

Date : 2026.01.08

参考文献

https://www.passepartout-italia.it/ja/art-in-milan/

変化し続ける都「ミラノ」

ローマ支配下に置かれたミラノは、紀元前3世紀からディオクレティアヌス帝による分担統治が始まり、西方領土の首都として栄えると、西ローマ帝国が滅亡した後は、自治都市として独立。商業と金融で力を伸ばし、14世紀末にはヴィスコンティ家がミラノ公の称号を受けたことから、都市国家「ミラノ公国」となる。そしてルネサンス時代には文化の中心地となり、ミラノはヨーロッパの商業の要所としても繁栄していたため、貿易や商業による富が、文化と芸術の発展を支える基盤になったといわれている。経済的繁栄により芸術分野で多くの投資が行われ作品が次々と誕生。ルネサンスが終焉を迎えると、イタリア国内での戦争が激化(イタリア戦争 1494~1559)。長らくミラノは、スペインやオーストリアの支配下に置かれるが、19世紀には「イタリア統一運動」の重要な拠点となり急速に成長していく。その後は行政都市としての整備が進み、劇場や宮殿が建設され、音楽や学問の分野でも発展を続け、20世紀以降のミラノは、歴史的遺産と現代文化が共存する世界的な大都市となっている。

伝統と革新の都「ミラノ」

ミラノの芸術史は、政治権力・宗教・商業などと強く結びつきながら発展してきた。古代ローマ時代の芸術は、皇帝の権威を示す装飾や、公共建築(浴場や劇場)、彫刻が特徴だったが、その後はキリスト教美術の台頭で、教会建築や聖人画といった、象徴的・精神的表現が中心になる。中世後期(ロマネスク~ゴシック)になると都市文化が成熟し、市民階級が力を持ち始める。特に、ルネサンス期のスフォルツァ家が支配した時代(15世紀から16世紀まで)のミラノでは、宮廷に学者や芸術家を集め、学芸を保護したとされている。ミラノはフィレンツェと並ぶルネサンスの一つの中心地でもあり、レオナルド・ダ・ヴィンチは、1482年にミラノを統治していた、ルドヴィーコ・スフォルツァのもとで芸術と学問が花開き活躍する。ミラノ時代の代表作は、ルドヴィーコ公の依頼でサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁に描いた「最後の晩餐」。ルネサンス三大巨匠の一人であるダ・ヴィンチをはじめ、建築家のドナト・ブラマンテもルネサンス期のミラノで活躍した。

様々な文化が織りなす都「ミラノ」

外国支配やイタリア統一を経て、近代には工業都市としてミラノは成長していく。20世紀以降は経済・金融の中心地となり、現在ではファッションやデザイン、文化を世界に発信する国際都市として知られ、急速な工業化と都市化を背景に、現代文化と近代芸術が力強く展開した都市となる。第二次世界大戦後は、アルテ・ポーヴェラに代表される前衛芸術が既成概念を問い直し、素材や思想の自由さを追求したといわれている。こうした芸術的実験は、建築、グラフィック、プロダクトデザインへと波及し、ミラノを世界有数のデザイン都市へと押し上げる。また、ファッション産業の発展により、ミラノ・コレクションは都市文化の象徴となり、芸術と産業の結びつきを国際的に示している一方で、スポーツ、とりわけサッカーは市民生活に深く根付き、ACミランとインテルという二大クラブの存在は、都市の情熱と連帯感を体現してきた。芸術、産業、スポーツが相互に影響し合いながら発展する点に、現代ミラノ文化の独自性があるといえる。

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