SPECIAL FEATURE

アルピニスム
‐登攀史を紡いだ人々‐

あまりに使い古された英国の登山家ジョージ・マロリーの「Because it's there.(そこに山があるから)」の引用は、「なぜ山に登るのか」と問われた時の返答として知られ、登山や人生における挑戦の精神を象徴する言葉として100年以上語り継がれる。
古代における山岳信仰や神聖視、近代ヨーロッパにおける「自然の征服」としての登攀、さらにはポストコロニアル的視点からの再解釈など、登山は常に人の思想や価値観を反映する鏡。近年では、SNSを通じて“達成の証”としての登山が可視化され、「バズる登山」が新たな動機や価値として位置づけられる。
近年の論文に見る学術的な関心もまた、こうした社会的・文化的背景の変化に伴い広がりを見せ、従来の自然科学や歴史学的アプローチに加え、社会学、文化人類学、ジェンダー研究、環境倫理、観光学など多様な分野からの学際的な研究が進められている。登山をめぐる物語の変遷をひもとくと、現代社会における人と自然との関係を捉え直す手がかりとなる。

Category : 歴史

Date : 2025.08.06

信仰と山

富士山や立山、チベットのカイラス山、ハワイのマウナケアに代表されるように、高山は単なる自然の造形を超え、「信仰の対象」として人々の精神文化や宗教観に深く結びついてきた。高所に霊的な力が宿るという感覚は、特定の宗教に限られたものではなく、世界各地のアニミズム的な世界観に広く見られる、普遍的な思想構造のひとつ。特に日本では、山は人間の手の届かない“他界”の象徴でもあり「この世」と「あの世」を分かつ“境界”として捉えられてきた。そこでは登拝や修験といった実践が、祈りや修行の行為として長く続けられている。

探究と科学的興味の対象

山を悪魔の棲家として忌避していた中世の時代が終わりを告げ、自然科学の発展や、大航海時代が生み出した「未知の世界」へのあくなき探求心は、科学的・地理的探究の対象になっていく。ルネサンス期以降、人間中心の世界観が広まり、自然も「理解・支配できる対象」として見直されるようになり、レオナルド・ダ・ヴィンチは、山岳地帯を観察・記録するなど、自然観察が価値ある行為とされ始めた。そして、国家間の勢力争いが活発化すると、正確な地図が必要になり、山は地形の把握・国境線の設定に不可欠な要素であり、測量のための登山が行われるようになる。同時に、自然の美しさや崇高さを称賛するロマン主義の潮流も登山を後押しし、山は「雄大な自然美の象徴」として、画家や詩人、旅行者がこぞって訪れるようになる。

近代登山の始まり、ヒマラヤ登山の時代

ジャック・バルマとミシェル=ガブリエル・パカールが、アルプス最高峰モンブラン(4,810m)の初登頂に成功したことが、「近代登山(アルピニズム)の始まり」とされている。19世紀に入ると、冒険・挑戦・達成感を求めて、山頂を目指すことそのものが、「人間の限界に挑戦する行為」とみなされ始める。富裕層や知識人の間でアルプス探訪ブームが起こると、技術や装備の発展により、危険な山に自ら挑む人が増え、登頂成功は、個人の名誉・社会的評価・英雄化につながると考えるものも現れる。1857年、イギリスで「アルパイン・クラブ」が創立されると、組織的登山が始まり、未踏峰への登頂ラッシュ(ヨーロッパ・アルプス)を向かえることになる。やがて山域は拡張し、ヨーロッパからアジア・アメリカ・アフリカへと広がり、植民地支配・科学探検と連動した登山活動が活発化する時代になる。

技術と大衆化の時代

現代の登山は、「登ることそのもの」にとどまらず、登り方・意図・社会的責任が問われる時代ともいえる。技術、価値観、社会環境、安全意識の変化など多岐にわたる。かつて命を賭けて挑む「英雄たちの舞台」だった山は、いまや誰もがアクセス可能な観光地にもなりつつある。GPSや高性能なギア、ガイド付きの商業登山が一般化し、エベレストの頂上で渋滞が発生する時代が到来した。SNSに映える絶景は、憧れをかき立てる一方で、自然破壊やゴミ問題、安全軽視といった新たな課題も浮き彫りにしている。登山は、もはや冒険家だけのものではなく、そこには経済、倫理、環境、そして文化的摩擦すら介在する。登るという行為の意味は、時代とともに形を変えている。

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