SPECIAL FEATURE
英国において、ウェディングドレスは第二次大戦後に本格的に既製品が普及するまで、手作りや仕立てが主流で、花嫁の個性や社会的背景を映す象徴的な装いだった。1840年、「純白のドレス」を選んだヴィクトリア女王の影響は大きく、印刷メディアの発達と相まって、世界中に白のドレスの慣習が広まった。同時に、ヴィクトリア女王は最愛の夫アルバート公の死後、40年にわたり喪服を着続け、「喪を生きる」文化も社会に根づかせた。
結婚と喪——この対照的な二つの節目は、服飾を通して個人と時代の精神を映し出している。
※ユニフォトプレスは、V&A博物館(Victoria and Albert Museum)と契約しており、貴重なアーカイブのご提供が可能です。弊社サイトに掲載されていない画像についても、お気軽にお問い合わせください。
Category : 文化
Date : 2025.06.03
1840年、ヴィクトリア女王は結婚式の日、自らを「君主」ではなく「アルバート公の妻」として位置づけ、純白のサテン製ドレスを選んだ。「純白の花嫁」という理想像を確立し、19世紀後半には英国をはじめ、ヨーロッパやアメリカにもウェディングドレス=白という慣習が広がっていった。
しかし、女王が白を選んだ理由には、衰退しつつあったイギリスのレース産業を支援するという愛国的かつ実用的な意図も含まれていた。彼女はレース職人への支援を重視しており、ドレスの中心的な装飾としてレースを据え、その繊細な美しさを最大限に引き立てる「キャンバス」として白を選んだのである。
V&A博物館(Victoria and Albert Museum)は、5世紀にわたるウェディングドレスを所蔵している。結婚生活へと移行する花嫁のファッションの選択は、個性や社会的地位を映し出す鏡でもあり、そこには女性のアイデンティティの変遷が刻まれている。
ヴィクトリア朝は、産業革命の名のもとにイギリスがかつてない繁栄を遂げる一方で、人々の心には「死」や「喪」、そして精神の深淵が静かに広がっていた時代だった。
1861年、ヴィクトリア女王は最愛の夫アルバート公を亡くし、深い悲しみに沈む。女王はその後40年もの間、喪服を着用し続け、「喪を生きる」という価値観を社会全体に浸透させた。悲しみをまとい続けることが美徳とされ、喪の装いは厳格に形式化された。
「死」をめぐる芸術的・文化的感受性は、ヴィクトリア朝のもう一つの顔でもある。工業の発展と同時に、人々の関心は内面世界や死後の世界へと向かい、その関心は服飾、ジュエリー、文学、芸術の隅々にまで及んだ。人々は死を畏れつつも、それに静かに向き合い、見つめ直していたのである。
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