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光と色彩の探求者 モネ

フランスの画家クロード・モネ(1840-1926)の代表作のひとつである「睡蓮」は、晩年の60歳ごろから死去する86歳までの約30年間、旺盛に描かれた。季節や太陽の移動によって光の変化を鋭くとらえ、さらにその光の美しさを見いだす、卓越した彼の探究心は、連作として形をみせる。「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」そして「睡蓮」というモティーフと出会ってから、この連作に没頭する。白内障を患って視力が低下しても描き続きけ、現在確認できるものでも300点はあるという。最晩年には大壁画を描いて国家に寄贈するというプロジェクトが立ち上がり、1915年、そのための巨大なアトリエを設け、大連作「睡蓮」の描画に取り掛かった。その作品は、今、オランジェリー美術館に展示されている。

Category : 絵画

Date : 2023.06.07

参考文献

もっと知りたいモネ―生涯と作品(安井 裕雄著/東京美術刊)
西洋絵画の巨匠 モネ(小学館刊)

カリカチュアと自然との対話

少年時代のモネは、学校をサボりがちだったが、ノルマンディーの海辺を歩き回っては、カリカチュア(風刺画)を描いたと、当時の様子を回想している。季節や天候、時刻などによって自在に変化する自然な風景との対話を通じて、少年期に豊かな感受性を養ったことは疑う余地がない。学校を離れ、本格的にカリカチュアを売っていた額縁店で、モネはウジェーヌ・ブータンと知り合う。ブータンは、モネに屋外の制作を勧め、絵画を指導した。これがターニングポイントになり、18歳になった1859年、モネは絵画を勉強するためにパリへ旅立った。
そして各地を転々とした末に見出した終の棲家は、ジヴェルニーというフランスの田舎町。1890年、家と土地を購入し年月をかけて花の庭、水の庭を造りだした。この場所から次々と傑作「睡蓮」を完成させていく。

風景に込められたモネの人物画

絵の道で生きるべく、ひとりパリへとやってきた青年モネは、志を同じくする若き画家仲間たち、オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、アルフレッド・シスレー(1839-99)、そしてエドゥアール・マネ(1832-83)と出会った。マネやルノワールが、モネを被写体として描いている作品が残っていることからも、彼らは親しい関係だったことが伺える。パリは最初の妻であるカミーユと出会った場所でもあり、彼女は度々モネの作品に登場する。モネは人物を描くとき、いつでも自分に近しい人をモデルにしており、カミーユ、息子の長男ジャン、二人目の妻のアリス、そしてその子供たちを描いている。次第にモネは人物画を描かなくなり、風景画に専念するようになる。人を描くこともあったが、あくまで風景画の一部としてとのこと。

時間に応じた光の効果を追求する

1870年代、30歳代になったモネは、制限が多かった公的なサロンへの出品を諦め、より自由な描き方を試すようになる。素早い筆致と大胆なフレーミングで、いかにも「印象」を描きとめたかのうな効果をあげる。そしてモネは、水辺の景色、建物や草原などが刻々と変化する情景を描き、「連作」という発想によって、絵画の新しい手法を見出し、後半生のすべてをその制作に捧げた。「積み藁」のシリーズ以降、モネは連作の画家として国際的に名声を博し、ポプラ並木、ルーアン大聖堂と、いくつもの連作に取り組んだモネが最後にたどり着いたのは「水」だった。ジヴェルニーの家にある「水の庭」をモチーフにした「睡蓮」のシリーズを死の直前まで描き続け、後世の芸術家に大きな影響を与えた。

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